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イケナイ予感を察知したときは。

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今日は5時半までたっぷり寝て、ご飯を食べてから文章を書き始めました。

というのも、イケナイ予感を察知したから。
それは「やらねばならぬ!」という義務感がフツフツと湧いてきてしまったのです。
これが沸くと一気に書く気をなくすので、改めて適当にやろうよ!と自分に話しかけています。

だいたい自分の傾向として、仕事のスケジュールが混み合うと、それに引っ張られて好きな活動、例えば文章や絵を描くことも億劫になってしまったりプレッシャーを感じるクセがありますね。

適当に。

適当に。

適当でいいじゃねぇか。

今朝は朝日がものすごくキレイです。
消防車がサイレンを鳴らして走っていきます。最近乾燥してますもんね。

適当に。

適当に。

何度も自分に話しかけます。

イケナイ予感を察知したら適当にやる。
というのも一つのテクニックですね。

脳と腸は繋がってる。という話を聞いたことがありますが、それもわかる気がします。

というのも、昨日ウ◯コが出ずにカラダが重たかったのですが、今、今まさに軽くなりました。カラダだけでなくココロも軽くなったようです。

こうして文章を書く時も排泄行為なわけだから、スッキリすればいいんです。
アウトプットなんてカッコよすぎる言葉があるけれど、「これは排泄行為てまある」と捉え直すと、それだけで生命活動に不可欠な行為である。と再認識すればいいわけですよね。

イケナイ予感を感じたら、どんどん排泄行為をしよう。

というわけで、今日の鉛筆画。

鉛筆画

騒がしい時代を静かに排泄行為をしながら生きたいものです。

ではまた。

chisato
休日は自転車散歩をしながら寺社巡りや「野良ドラマ」探しをしています。
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