先日、海風を感じながら自転車を走らせ、休憩していた海辺にて。
ふと頭に浮かんできたのが
「無個性」と「個性」は
相反するものなのだろうか?
という唐突とも思える疑問でした。

しばらく海を見ながら考えた
暫定的な結論として、
それらは相反するようでいて、
実はそうではないんだな。
ということに気がつきました。

私たちは「個性的であること」に
特別な価値を見出しがちですよね。
・個性的なファッションや生き方
・面白い言動や経験
・誰もが驚くすごい才能
・キラキラな生活スタイル
・非凡なキャリアetc・・・
そうした華やかな個性は、
賞賛を集め、
憧れの的となることも
少なくありません。
個性的な人たちにとって
憧れを集めやすい時代でも
あります。
しかし一方で、
私を含めた「無個性」と
自分で感じている人たちは
どうでしょう?
本当に「無個性」なのでしょうか?
静かに生きる人々の存在は、
ともすれば見過ごされてしまいがち。

周囲の喧騒や氾濫する情報に
惑わされることなく、
自らの内なる声に従い、
日々の課題を着実にこなしていく。
その姿は、一見すると
「無個性」に見えるかもしれません。
けれども、私は思うんです。
周囲に流されず、
自分の軸をしっかりと持ち、
淡々と生きる強さこそ、
真の個性ではないかと。
ルッキズムを重視する
風潮の時代において、
外見の評価に左右されない、
内面から湧き出る揺るぎない
芯の強さとも言えるのではないでしょうか?
注目される機会は
少ないかもしれない。
目まぐるしい成功や
華やかな舞台とは無縁かもしれない。
しかし、そうした生き方を選んだ人の内には、
揺るぎない精神的な充足感があるのではないでしょうか。
例えば・・・
・長期間、変わらないルーティンを黙々と続ける日々の努力。
・周囲の喧騒に惑わされず、自分のペースを守り続ける強さ。
・特別な才能はないけれど、任された課題を丁寧に完了する責任感。
・過去の困難を力に変え、他者に穏やかな優しさを示す姿勢。
・目立たない場所でも、自分の信念に基づいて行動する揺るぎない芯の強さ。
・流行や他人の評価に左右されない、内なる基準を持つこと。
・何気ない日常の中に、ささやかな喜びや意味を見出す視点。
・自分の役割を自覚し、地道に貢献する控えめな自己評価。
・多くを語らずとも、その存在が周囲に安心感を与える温かさ。
・過去の栄光や地位に固執せず、「今」を大切にする生き方。
果たしてこのような生き方が
「無個性」と言えるでしょうか?
目立つ個性的な生き方と、
目立たないけれど
芯の強い無個性とも見える生き方。
私が惹かれるのは、
間違いなく後者です。
なぜなら、
周囲の価値観に迎合することなく、
自分自身の内なる声に従って生きる。
それこそが、誰のものでもない、
私だけの「オリジナルな個性的な生き方」なのだ。
そう信じることができるからです。

つまり「個性」と「無個性」。
それらを表層的には 判断できないことだし、
してはいけないことでもある。
今日という日を愚直に生きている。
それだけで、全ての人が立派に
「個性的」と
言えるのではないでしょうか。
海を見ながら考えていたのは、
概ねこんな感じのことでした。