先日、朝井リョウさんの小説「スター」を読み終えました。

他者からの評価や、目に見える数字に翻弄される現代を描いたこの物語の中で、思わずページをめくる手を止めてしまった一行があります。
「今ごろ、器と中身がやっとしっくりきてる感じするもの」
この言葉が、今の自分を苦しめている正体の一つを静かに言い当てたような気がしたのです。
ここでいう「器」を精神的な土台、
「中身」を自分の能力や経験だと定義してみます。
僕自身の器はビックリするほど
小っちゃな小っちゃな器です。
それなのに・・・
世間のスピードや
他人の期待に応えようとしたり、
ダサい見栄やプライドやらで、
中身以上のモノを無理やり乗せ、
キャパオーバーになっていたのではないか。
そこに苦しんでいるのではないか?そう気づかされました。
ついつい、器を大きく見せるために「中身(集めるもの)」を
詰め込むことに必死になってしまうことってありますよね?
でも、器のサイズに見合わないものをどれだけ積み上げても、そ
れはいつか崩れてしまう不安定なものなのかもしれません。
小さな器には、なんでも乗せることはできません。
自分が本当に大切にしたい、
厳選したモノしか乗せられないのです。
きっとそうなのでしょう。
「この小さな器に何を乗せれば、自分は満足するのだろうか?」
そう自問してみましたが、きっと「満足」にはキリがないんでしょうね。
大切なのは自分が「納得」できるかどうか。
この混迷とした狂った世界の中で、
自分なりの判断基準を持ち、
器と中身のバランスを自分の手で整えていくこと。
そのために何ができるでしょうか。
日々、読書をして知識を得ること。
多様な価値観に触れること。
無理なくチャレンジして経験値を貯めること。
自分を大切にしてあげること。
自分の下心を満たすために
今からできることはたくさんあると思います。
でもその前に、やるべきことがあります。
それは、これまで発作的に、見栄や焦りでコンモリと乗せてしまった「偽り」や「こだわり」や「秩序のない計画」を、一度器から下ろしてみること。
一度空っぽに近い状態に戻して、
今の自分に本当に必要な分だけを、
丁寧に器に戻していく。
時間はかかるかもしれませんが、今年は自分という器を慈しんでいこう。
「今ごろ、器と中身がやっとしっくりきてる感じするもの」
この言葉は、そんなことを考えさせてくれる言葉でした。
【その他の心に残った言葉メモ】
心が人によって評価の基準が変わる世界で、まっすぐ立っていられるほど強くなかったんだよね。
中身より状態を整えば手っ取り早く色々なことが成立するのが現実だ。そんな現実の中にいたら、判断基準が歪んでいくのは当然なんだよ。