一昨年より去年。
去年より今年。
と、徐々に心が安定してきている自分に、ふと気がつきます。
もちろん、安定していった要因は
はっきりしているんだけれど、
それを上手く言語化できずにいました。
しかし、これを言語化してくれた
過去の偉人がいらっしゃった。
それは、中国の儒教思想家の「孟子」です。
彼は、このような言葉を残しています。
「恒産なくして恒心なし」と。
恒産とは、簡単に言えば「安定した収入」。
恒心とは、簡単に言えば「安定した精神」。
私の心が落ち着いてきたのも、まさに「恒産なくして恒心なし」です。
というのも、長い間フリーランスとして働いてきて、ここ10年くらいは経済的に不安定な時代が続きました。
例えば、今月末50万振り込まれる予定だった金額が、来月末もしくはそれ以降、なんてことが多々ありました。
お金は常に不安定。
しかし、接待に近い会食は多く予定(コロナ前)していたので、お金だけは毎月一丁前に出ていくばかり。
(しかも子供たちは育ち盛り!)
そんな状態で「心が安定」するわけがありません。
自分を労る?
ちゃんちゃらオカシイ。
リラックスする?
そんなヒマがどこにある。
人を大切にする?
そんな余裕なんかねぇ!
好きなことで生きていく?
バカも休み休み言え。
と、心は常にささくれ立っており、「心の安定」から、ほど遠い世界に住んでいました。
鬱にはならなかったものの、それに近い状態ではあったと思います。
いや、病院に診察してもらっていたら、きっと鬱と言われていたかもしれません。
何もかも終わらせたい・・・。
そんな乱暴なこともよく頭をよぎりました。
一生懸命やればやるほど、
足掻けば足掻くほど、
ズボズボと沼に足を取られていく生活。
仕事を失わないよう、そして少しでも得られるよう、
クライアントに迎合して壊れていく人間性と価値観。
しかし、3年前くらいから収入は減ったけれども、安定した仕事をいただけるようになりました。
それから少しずつ少しずつ、
無理をしない考え方や生き方を学びながら、
「心の安定」を取り戻せるようになりました。
しかしあまりにも長い間、不安定な生活に身を置いていたので、今でも油断をすると、すぐにネガティヴになり、不安定になり、卑屈な自分に逆戻りしてしまいます。
そんな自分を認めているからこそ、
読書で心を落ち着かせる時間をとても大切にしています。
そして、一見非生産的とも思えるボーーッとする時間も同じくらい大切にしています。
これらは、過去の自分からすると、それはそれは贅沢な時間なのです。
過去の自分が見たら、羨むような贅沢な日々を過ごさせていただいています。
そして今だからこそわかる。
一番のイジメっ子は自分じゃないか、と。
そしてこうも思うわけです。
「そりゃハゲるわ!」と笑
「恒産なくして恒心なし」
人生後半戦を生きるにあたり、この言葉をお守りに、無個性とも思える日々を大切に生きていきたいと思います。
そして今の自分に伝えたい。
今まで無理させてごめんね。
いっぱいイジメてごめんなさい。
これからは、いっぱい愛していっぱい労るからね、と。
そしていっぱいの「ありがとう」をあなたに贈ります。
あの頃の私と今の私。
大切なことが少しずつ変わってきたのかもしれません。