仕事へ向かう途中でのこと。
いつもの見慣れた風景の中、
目の前で「ガシャン!」と鈍い音が響きました。
思わず視線を向けると、
自転車に乗っていたお婆さんが、
道の端で倒れ込んでいるではないですか!
私は慌てて駆け寄り「大丈夫ですか!」と声をかける。
幸い大きな怪我はなさそう。
まずは倒れた自転車を起こし、
次にお婆さんの肩に手を貸してゆっくりと立ってもらいました。
「いやぁ、恥ずかしいねぇ」
お婆さんは、転んだことへの痛ましさよりも、
少し照れたような、ばつが悪そうな顔。
「この坂、登りきれると思ったんだけどね。まだまだいける、なんて、自分を過信しちゃダメよねぇ」
苦笑いしながらそう言うと、自転車の向きを直し、お礼を言って、少しぎこちないペダルを踏み出して去っていきました。
小さな背中が、朝の光の中に消えていく。
まるで、一瞬吹いた恥じらいの風だけが残されたよう。
お婆さんが登りきろうとしていた坂を改めて見る。
いつも通る道ですが、改めて意識すると、
確かにそれほど急な坂ではない。
むしろ、日常の中に溶け込むような、緩やかな傾斜。
こんな坂道で、転んでしまうこともあるのか・・・。
しかし、お婆さんのことを笑うことなんて、できるでしょうか?
そして、この「緩やかに見える坂」が、
生きていく中で時に「壁」のように立ちはだかることがある、と思えてきます。
それは、体力的な衰えかもしれないし、
仕事での予期せぬ困難かもしれないし、
あるいは人間関係の複雑さかもしれない。
見た目には些細なことでも、
その時の自分にとっては乗り越えるのが難しい「坂」になることがある。
そんな経験は、きっと誰にでもあることでしょう。
お婆さんは、転んだ自分を笑うように、「自分を過信しちゃダメ」と、あの時、確かに言った。
その言葉が、私の心にじんわりと染み込んできます。
私自身まだ「体力はあるつもり」でいる。
周囲からはそう見えているかもしれない。
でも、自分自身の体や心には、少しずつ、
しかし確実に変化が訪れているのを感じずにはいられません。
以前のように長時間集中力が続かなくなったり、
当たり前にこなせていた仕事に以前より時間がかかったり…。
正直なところ、若い頃のような無理はもう効かないと感じる時もあります。
かつての私は、目の前の「坂」を勢いと体力で一気に登りきろうとしていました。
仕事も、予定も、バッチバチに詰め込んで、
走りきることが美徳だと思っていた。
しかし、お婆さんの言葉、そして自分自身の変化を前にして思うわけです。
もしかしたら、人生の坂道は、「登りきる」ことだけが目的ではないのかもしれない。
焦ってペダルを漕ぎ続けるのではなく、
時には自転車から降りて、横道を歩いてみる。
道の脇に咲く花に目を留めたり、吹き抜ける風を感じたり。
少し立ち止まり、景色を楽しむくらいの「緩さ」が、
これからの私には、人生後半戦には必要なのかもしれません。
バッチバチに予定を詰め込まず、余白を作る勇気と余裕。
それが、まだまだ続くであろう人生の坂道を、
息切れせずに、そして豊かに乗り切るための秘訣なのかもしれない。
朝の思わぬアクシデント。
通りすがりの、名前も知らないお婆さんから、私は、大切な学びをいただきました。
ありがとう。名も知らぬお婆さん。
お怪我がないようで良かった。