スマホに残したメモを開き、
そこから自分なりに解釈する。
そんな時間を大切にするようになりました。
ヒマなのかもしれません笑

いま、郷ひろみさんの著書
「黄金の60代」を読み進めています。
なぜ、この本を手に取ったか。
それは先日観た「ボクらの時代」で、
郷ひろみさんのストイックな生き様に
興味を持ったからです。

本記事も引き続き「黄金の60代」からの
学びを散歩しながら見つめ直しました。
(文中の写真は散歩の時に気になった風景)
「黄金の60代」を読み進める中で、
「自信」と「過信」という
似て非なる二つの言葉の定義についてでした。
『自信』と『過信』という言葉があるが、僕はこの二つの単語に対して、自分なりの明確な定義を持っている。
自信を持つということは自分の能力を信じること、そして過信するということは、自身の能力を信じるが、そこに驕りや高ぶりが加わること。

50代になって、
それなりに経験も積んで
「自分はわかってるよ」
「それ知ってるよ」
「もう経験したよ」
という驕りが無意識的にあったのではないか?
と、ゾッとしてしまいました。
意味のない邪魔くさいプライドも
驕りに繋がっていることは否めません。
郷ひろみさんの言う「驕り」とは、
「心の目を曇らせる」ということなのかもしれません。
そして、誰かからのアドバイスを
「うるせぇな」と排斥してしまう時、
それは自信ではなく、過信という言葉にすり変わってしまう。
今でもそうですが、
今後さらに年下の人たちと関わる機会があることでしょう。
そんなときは「わかってるよ!」と
排斥することなく、しっかり耳を傾ける。
ということも肝に銘じたいものです。
郷さんは「死ぬまで発展途上」と言っていた。
「自分は大器晩成の人間だ」
とも言っていた。
そして僕はそれを真似て
「大器晩成を予約」した。

直したい悪癖はなかなか抜けない。その逆に、身につけたい習慣はそう簡単に身につかない。
そうだ。焦ることはない。
焦って大きく変える少し先には挫折が待ち構えている。
それは過去の自分が何度も経験したことではないか・・・。

ゆっくり。
ゆっくり少しずつ変えていこう。
驕ることなく、謙虚に。
その姿勢がきっと人生後半戦の自信を連れてくる。
こうした小さな心の点検が大きな変化となって現れる(はず)。
散歩しながら考えたのは、
概ねそんなことでした。
こうしているあいだにも、すべてが過去になる。その過ぎ去っていく時間をなにも思わないのか、残念がるのか、あるいは有意義ななにかに変えていくのか。それも自分次第なのだ。
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